レポート・歴史

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

.
.

.

4月例会
2011/04/29

4月例会

●テーマ  「フェアトレードで未来が変わる! 
         −人にも地球にも優しい社会−」

●講 師

タレント
エシカル・コーディネーター「エシカル・ペネロープ株式会社」
代表取締役

JICA中部なごや地球ひろばオフィシャル・サポーター

原田さとみ氏 http://satomiharada.com/


アシスタント
ラジオパーソナリティ・ディスクジョッキー 

空木マイカ氏 http://utsugimaika.blogspot.com/


「プライナス」の演奏で「コップなごや水基金」の唄
水の歌 「たゆたう」 を披露


●プロフィール

1987年、セントラル・ジャパンからモデルデビュー後、
テレビ番組「ラジオDEごめん・金曜日の王様」の出演を期に、
タレント活動開始。
東海圏を中心にTV・ラジオに出演する。

96年、フランス・パリ留学を経て、
1999年〜2009年、お洋服のセレクトショップ
「ペネロープ・パリ・ペティヨン」を名古屋栄ミナミ地区
にて経営。

ヨーロッパからの輸入品とオリジナル・ブランド
「ペネロープ・プリュス」を展開。

タレント活動は、出産・育児のため、
5年間休業の後、05年から再スタート。

現在は、
おしゃべり・講演・絵本の読み聞かせ・司会・執筆など活動中。


●日時 平成23年4月19日(火)    
18:00 受付
18:30 講演会
20:00 懇親会

※くれぐれも時間厳守でお願い致します

●会場 札幌かに本家・栄中央店
    TEL 052-263-1161
    http://www.kani-honke.co.jp/ 

.4月例会 講演レポート
.

.■■ 4月例会 講演レポート
■■   テーマ  「フェアトレードで未来が変わる! 
■■             −人にも地球にも優しい社会−」
■■■  講師  タレント
■■■■     エシカル・コーディネーター
■■■■■       「エシカル・ペネロープ株式会社」     
■■■■■■   代表取締役  原田さとみ氏
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■       
 
                開催日 平成23年4月19日(火) 
     会場  札幌かに本家・栄中央店

 
■■人にも地球にも優しい社会をつくる■■

「フェアトレード」
ちょっと聞きなれない言葉だと思いますが、
「公正貿易」ということです。

もともと貿易というのは、
海のもの、山のもの、異国のもの、お互いにないものを
融通しあって、それがお互いの幸せのためであった。

ところが、
強い人がどんどん強くなって、
弱い人がどんどん搾取されるようになって、
不平等が生まれてきた。

これが今の先進国と途上国の形です。

それを何とかしようというムーブメントが
「フェアトレード」です。


エチオピアは牧歌的な風景で、
のどかな想像をするかと思いますが、
国土の2%にまで自然林が減ってしまっています。
森がないのです。

これは先進国が開拓したわけではありません。

エチオピアは人が多い。
貧困な中、食べていくために、
田畑を作るために木を切ったのです。

そこで何とかしなければいけないということで
動き出したのがJICAです。

森を残すにはどうしたらいいかということを
地元の人たちと考えるメンバーを派遣し、
食べていくために木を切ってきた人たちに、
どうして木を切ってはいけないかということろから話をした。

木を切り森がなくなると、雨が地中に貯まらなくなって、
土砂崩れがおき、川が乱れ、土が枯れ、
農作物が育たなくなります。

そして、
森を守ることで自分たちの暮らしが向上すると理解し、
納得するために、その森にもともと自生していた
コーヒー豆の栽培に着眼したのです。

彼らが生きていくために必要なものを見つけて
持続可能な収入の方法を見つけてあげることが、
森を守ることに繋がりました。


森林の中で、農薬や化学肥料なしで育つコーヒー豆には
フェアトレード認定を得て、
プレミアム価格での取引ができるようになり、
彼らはコーヒー豆を作ることに誇りを持ちました。

さらには、女性にお仕事も創出しました。
森で取れたコーヒー豆を生豆でそのまま出荷するだけでなく、
女性たちによって手焙煎したオリジナルコーヒー豆として
日本へ出荷もしています。


男性が働いてお金が入っても、彼らは、

「子供たちは学校なんかにはいかなくてもいい。働けばいい」

という話になってしまうのですが、
女性たちは子供を学校に行かせてあげることにお金を使います。

女の子も、男の子も平等に学校に行かせてあげたい
という思いでお金が使われるので、国の発展につながるのです。


エチオピアとルワンダと2つの国に行きましたが、
2つの国のあり方、考え方は大きく違っています。

例えば、
茅葺きの屋根では雨漏れがひどいということで、
海外の支援者たちがエチオピアで、
トタンの屋根に替えたそうです。

村の人たちはとても喜んでいたそうですが、
私は支援のあり方として、疑問を感じました。

なぜなら、
トタンの屋根を先進国の人間が現地の人々に与えるのは
てっとり早く簡単かもしれない。

でも、村の人たちが今後、どこかで買ってこようと思っても、
それは難しいわけです。
自分たちで作ろうと思っても作れない。

たしかに、
そこにいる人たちにとっては、
生活の場所が不衛生なところで子供たちが病気になっていく。
それを一刻も早く抑えるにはトタンが必要だったわけです。

ただ、そのトタンを1回味わってしまうと、
元に戻れないじゃないかという恐怖が私たちの中にあるのです。

できるだけ自国で産出している素材を使って、
いつでも自分たちで作れるもので、
自分たちで作れるようにサポートをできないものかと思いました。

自国の文化に誇りを持たせてあげて、
その国の誇るべき伝統を守りながら発展してほしいと思います。

茅葺の屋根を残すように修繕するお手伝いをすることの方が
手間はかかるけれど、大事な支援なのではないかなと感じました。


そういうエチオピアでの不安を抱えながら
ルワンダに行ったのですが、
ルワンダでは、土で作った屋根ばっかりだったのです。

現地の人に聞くと、
「オレはトタンの屋根は嫌いだ」と言っていました。

なぜかというと、
壊れたときに自分たちで直せないというわけです。

「オレたちは、自分たちで直せる物、自分たちの国にある物でやりたい」
と言っていました。

この話を聞いて、これが支援のあり方の答えだと思いました。


私たち先進国がこれまでの経済の発展のために、
途上国に作ってしまった歪による不平等で、
貧困から彼らを苦しめてしまっている状況を何とかするために
行っている支援です。

これ以上誰をも犠牲にしないで、
持続可能な平和のためにできることを、
思いやりの心でサポートすべきだと思います。

フェアトレードを私たちが始めようと思ったきっかけは、
自分がおいしいチョコレートを食べている陰で、
苦しんでいる人がいたら・・・
と思うところから始まっています。

フェアトレードの精神が大事になってくる時代が
間近にきていると感じています。


フェアトレードタウンというのは、
イギリスのガースタングという小さな町が発祥です。

6月、熊本がアジアで一番目フェアトレードタウンになります。
イギリスのガースタングから始まって、ちょうど1000番目です。

名古屋でもフェアトレードタウンへの推進活動が
盛んになってきています。

日本でのフェアトレードの認知度はまだまだで、
17%といわれている中、なんと名古屋での認知度はすごい。
30%近いのです。

今、私たちは、いろんな企業の方、学生たちと一緒に
「フェアトレードタウン名古屋推進委員会」を結成し、
活動をしています。

そんな中、
名古屋の学生たちがフェアトレードマップを作るために、
どれくらい栄のお店がフェアトレードのものを扱っているのかを
一軒、一軒、訪問し、調べています。

すると、フェアトレードについてよく知っているお店もあれば、
そうでないお店もありますので
「フェアトレードってなんですか?」と聞かれることもある。

そのたびに、学生は、
フェアトレードとは、ということから話をするわけです。

そうすると、
「私も勉強します」といってくれるお店もある。

それがきっかけで、
フェアトレードの雑貨を取り扱ってくださるお店も増えたり
しています。


学生が一軒一軒回ることによって、町が変わってきました。
名古屋がアジアで2番目のフェアトレードタウンになるのも
近いと思います。


■■思いやりの精神「エシカル」■■

フェアトレードの精神は、
「エシカル」という言葉に表現できると思います

「エシカル」とは、
直訳すると「倫理的な」という意味ですが、
エシカルという概念は「思いやり」だと思っています。


私たちが何か物を買ったり、食べたりするときに、
私たちは幸せを感じる。

だけれども、
その物の背景に隠れている労働環境、貿易の環境、
自然環境など、誰かを傷つけてはいないかな
ということを常に考えるのがエシカルです。


ファッションはこれまで
、シーズンごとに次から次へと物をクリエイトして、
どんどん物を消費してきました。
フェアトレードとは対極にある世界でした。

これではいけないということで立ち上がったのが
エシカルファッションという分野です。

エシカルというのは、
フェアトレードよりも、もっと広く捉えていて、
ファッションであれば、オーガニックだったり、
リサイクルの素材を使っていたり、

伝統的な技術を大事にしているか、
児童労働をしていないか、搾取していないか、
生物多様性も大事にしているかということも考えています。

その上で、ファッションですので、
デザイン力、品質の高さが大事になってくる。

そんなエシカルファッションのお店を、
名古屋のテレビ塔で始めました。


また、「コップなごや水基金」という活動がありますが
これは国内フェアトレードであり、
エシカルな活動といえます。

自然の恵みはどこからかというと、山間部からです。
何一つ、都会では作れない。

だから山間部と都市部のつながりを大事にしないといけないな
ということで始めたのが「コップなごや水基金」です


「エシカル」というのは「倫理的な」ということよりも、

「いろんなことや、全ての命を大切にしよう。
 私たちは一人で生きているのではなくて、
 地球上の全ての命とつながって生きているんだよ」

ということなのです。


.■平成23年3月例会
2011/03/16

■平成23年3月例会

日時  平成23年3月14日(月) 講演 18:30

講師  株式会社ISOWA  磯輪英之社長
http://www.isowa.co.jp/i

テーマ 「気楽にまじめな話ができる、世界で一番社風のいい会社」 (仮題)

会場  料亭 蔦茂 (講演会、親睦会)
  名古屋市中区栄3-9-27  TEL 052-241-3666 
    http://www.tsutamo.com


月曜日の名古屋経営研究会例会、元メンバー磯輪社長の熱い講演、感動しており
ます。講師の当日のブログを紹介しますので、もう一度熱い思いを味わってくだ
さい。
 http://blog.goo.ne.jp/h_isowa/e/c2f0052088dde83157725f25f8460847

●テーマ  「気楽にまじめな話ができる、世界で一番社風のいい会社」
●講 師 株式会社ISOWA 
      代表取締役社長 磯輪 英之 氏
●日時 平成23年3月14日(月)    
18:30 講演会
20:00 懇親会
●会場 料亭 蔦茂 (講演会、親睦会)
--------------------------------------------------------------------------
       +++ Dream Box by 【Box Dream】 +++

 「世界一社風のいい会社になり、段ボールを通じて世界中に夢を提供しよう!」
 『スピードと対話』 
   1)オレがやる  - チャレンジこそ最高の美徳
   2)協力する  - 信頼し合い、相談し合える人間関係
  3)明るくする - ものが言える自由な雰囲気
   株式会社ISOWA  社長 磯輪 英之
    e-mail : hideyuki-i@isowa.co.jp
web site : http://www.isowa.co.jp/
    ブログ :  http://blog.goo.ne.jp/h_isowa/ 『磯輪日記』

.3月例会 講演レポート
.

.■■ 3月例会 講演レポート
■■   テーマ  「気楽にまじめな話ができる、
■■             世界で一番社風のいい会社」
■■■■ 講師  株式会社ISOWA       
■■■■     代表取締役社長 磯輪 英之 氏
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■       
 
                開催日 平成23年3月14日(月) 
     会場  料亭 蔦茂

 
■■「風土改革」に取り組むことの決断■■

私は30歳でトーメンという商社を辞めてISOWAに入社しました。

5年間はトーメンに勤めるという約束をしていたにも拘らず、
父から早くうちの会社に入れ入れと言われていましたので、

私を受け入れる準備はとっくにできていると思って
ISOWAに入社したのですが、
入ってみたら、典型的な同族の中小企業でした。

私から見て、矛盾だらけの会社だったのです。
全く私の言うことを聞いてくれない状況でした。

上手くいかずに悩んでいた時期がずっと続きました。

会社に入って13年、1998年に社員から、
スコラコンサルトの柴田昌治さんの本をプレゼントして
もらいました。

この本との出会いが、
私の人生における大きなターニングポイントでした。

それまで自分がやってきたことは、「形」だけ。ヤラセに過ぎない。
すごく反省させられました。

そこで本当の意味での風土改革に取り組もうと考えたわけです。


手始めとして、
創立80周年の記念行事をやろうと決めました。

ただ、それを自分でどんどん進めていくと
昔のようにヤラセになってしまう。

まずは、
社員の中に協力者を作り、講演会を開催しました。

その後、社内でオフサイト・ミーティングが
自主的にスタートしました。

しかし、
出てくるのは会社の不平不満ばかり。
それでも、毎週、毎週、会は続けました。


3ヶ月くらい経ったある時、
「毎回、こんなことばかり言っていてもしかたない。
 自分たちでやっていこうじゃないか」
と社員たちのモードが切り替わったのです。

彼らはリードタイムの短縮という課題を掲げ、
連日、夜12時過ぎまで工場の中で活動を始めたのです。

昔の私でしたら、毎日、報告してもらい、
それに対して、指示をし、自分主導になっていたのですが、
彼らに好きにやらせました。


そんなある日、
私も夜遅くまで仕事をして、ふと工場を見たら、
まだ電気がついていました。

「君たち、毎日、毎日、夜遅くまで大変だね」

と彼らに声を掛けました。

すると、

「いや、これは社長に言われたからやっているんじゃないのです。
 自分たちは好きで楽しいからやっているのだから
 全然大変じゃないです」

とニコッと笑ってくれたのです。

「これこそヤラセではない本当の自主的な活動だ」
と感じました。
彼らの言葉に涙が出そうになりました。

これはISOWAの風土改革の象徴のひとつです。

そういう社員の目にふれるわかりやすい活動を
彼らにやってもらう一方で、

私自身も今までの自分と違って変わろうとしているんだ
という決意を示すために何かできないかなということで、
実施したのが「社長評価」です。


■■試行錯誤の中で見つけた風土改革の本質■■

以前、うちの会社は、
オーナーの言うことを言われた通りにやればよく、
それを上手くこなす人が出世していました。

でも私が社長になってからは、
「あなたはどう考えるのですか?」
「あなたの意見はどうなんですか?」
ということを常に求められるようになりました。

今まで、与えられたことをこなす
ということに専念してきた人たちは急には変われない。

部門長でも、
どうしてもそういうことが上手くできず、
交代してもらったこともあります。

環境の変化に順応できずに、
心の病にかかった人もいましたし、
辞めて欲しくない社員の人が退職するということも
ありました。


それと時を同じくして、
お客さまからもいろんな批判の声がでたのです。

社長が変わり、
以前とは全く違うことを言い出すし、大丈夫なのか
という声が営業や、私の父の方へ来たりするわけです。

私がやり始めたことに対して、
元々、心配していた父からは、考えを改めた方がいいと
頻繁に言われました。

私にとって、とても苦しい時期でした。
そういうことを反映してか
社長評価がドンドン下がり始めたのです。


私もますます悩むわけですが、それでも、答えが出ない。

そこで、
今までは一斉に社長評価の結果を公表していたのですが、
事前に部門長の人たちや組合の執行委員の人たちを呼んで、
評価の結果に対する意見を求めたのです。

それまでは社長というのは
自分の弱みを見せてはいけないと思っていましたが、
初めて弱みを見せたわけです。

すると、
私の評価がすごく悪い部門の長が、

「これは社長評価の評価ではなくて、私の評価ではないか。
 自分が社長の考えを社員に伝えるということをしていない
 のではないか。
 これからはもっとがんばりたい」

と言ってくれたのです。

組合の執行委員の人たちは、

「社長が社員の人たちのために一生懸命やってくれているのは
 よくわかっている。
 組合員にもっと社長の気持ちを伝えます」

ということを言ってくれたのです。

彼らの言葉に救われました。

自分の悩みを素直に伝えたら、一緒に悩んでくれる。
私の弱みを見せたことで
社員との関係性が変わってきたのです。


■■世界一社風のいい会社は、
  世界一のお客様満足を提供できる■■

ある講演会を聴きにいったことがきっかけで、
「私は何のために働いているのだろう?」ということを
考えるようになりました。

私はダンボール機械が好きでISOWAに入ったのではなく、
たまたま社長の息子だったから会社に入ったわけです。

ダンボール機械に対しては、
特別な思い入れや、情熱があるわけじゃない。

社長である私がそんなことを言っているわけですから、
ISOWAに勤めている社員であればなおさらのことです。

そう考えたときに、

「社長の私ですら、会社のための前に、
 自分と自分の大好きな家族の幸せのために働いている。
 社員であればなおさら、
 そういう当たり前のことが実現できる会社で働きたいだろう」

と思い始めたのです。


お客様満足といいますが、
お客様を満足させるのは社員です。

その社員が自分の会社のことを好きに思っていなかったら、
その社員がお客様を喜ばせようと自発的に動くことは絶対にない。

まずは社員満足を高めて、
それが自然にお客様満足につながっていくような風土を作るのが
私の仕事。

私にとっては社員がお客様なのです。


2006年1月、
社員に向かって、初めて
「世界一社風のいい会社を目指す」と語り始めました。

月に1回、全社の朝礼がありますが、
私は景気や業績という話はまずしません。

自分の想いや考えを話すことにこだわり、
軸をブラすことなく、言い続けています。

私は本当に「世界一社風のいい会社」を目指しています。

うれしいことに、
海外のお客様がトヨタ自動車を見学された後、
ISOWAを訪問し、

「自分たちが見たかった日本的な経営の姿が
 ISOWAさんにあった。トヨタよりもトヨタ的だった」

と言って下さいました。

4年前から、社員満足を調べようと
「MANZOKU調査隊」というプロジェクトをスタートしました。

最初は半年くらいでアンケートを作って
社員に聞こうと思っていたのですが、

やっていくうちに、
ISOWAが求める社員満足とは何かを皆で考えようよ
ということになっていきました。


満足度の調査項目を決めるのに1年半くらい皆で
議論しました。

最初、私にとっては社員満足の調査が目的だったのですが、
よくよく考えたら、
調査そのものは、どうでもいいことなのです。

ISOWAの社員が求めている社員満足というものは何か
ということを
プロジェクトのメンバーがまとめてくれたことに意味がある。


「風土改革」というのは、
ただ単に、会社の風通しが良いとか、
皆が和気あいあいとやることを目指すのではありません。

社員が自発的に考えて行動できる環境を整え、
それによって会社の経営そのものが変わる。

これが「風土改革」。


「世界一社風のいい会社は、世界一のお客様満足を提供できる」

この仮説を検証していくことが、
これからの私の仕事だと思っています。


.
.

.

2月例会 講演レポート
2011/03/05

2011/3/4

●日時 平成23年2月16日(水)    
18:00 受付
18:30 講演会
20:00 懇親会
●会場 ローズコートホテル 名古屋市中区大須4-9-30 
    TEL 052-269-1811

●テーマ  「流域環境圏の「里結い」 Sato-Yui がこの国を救う」
●講 師 株式会社創建 
      代表取締役会長 筒井 信之氏
●プロフィール
1942年東京市 芝区 生まれ
1965年法政大学工学部卒業の後、橋梁製作会社・建設コンサルタントなどを経験
1971年建設コンサルタント 株式会社創建を設立、代表取締役社長に就任
1971〜2007年 建設関連設計事務所から始まって
       情報システム・都市計画・環境計画・造園設計・
       景観デザインなどの領域を確立した後、
社会資本・自然資本を考える地域づくりシンクタンクへと 変身し、今日に至る
会社の基本理念は「世の中の基をつくる」
これからは、流域圏社会を創ることに挺身したいと考えている
さらに「里結い」Sato-Yui の理念を世に広めたいと考えている
著作として、筒井信之編著
「新次元・環境創生」「流域環境圏を基にこの国の形を創る」出版
http://www.soken.co.jp/


■■ 2月例会 講演レポート
■■   テーマ  「流域環境圏の「里結い」 Sato-Yui がこの国を救う」
■■■■ 講師  株式会社創建       
■■■■     代表取締役会長 筒井 信之氏
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■       
 
                開催日 平成23年2月16日(水) 
     会場  ローズコートホテル
 

■■「流域環境圏」を基にこの国の形を創る■■

日本の良いところというのは、
思いやりの心と世界一の長寿国であること、
ほぼ単一民族 であること、
そして、豊かな自然と恵まれた水の環境です。

世界一といってもいいほど
水の循環には恵まれている国といえます。

また、技術に優れた企業群の存在、
多様な伝統文化と新文化があります。


それから「和の色」
日本人であることの特色は色の感性ではないかと思います。

現存する漢字で書ける和の色は1052色もあります。
これは全て自然の色から作っているのです。

また、伝統的なお祭り、
木造建築など素晴らしいものがたくさんあります。


ところが、その位置や自然条件から
地震、台風、集中豪雨等の自然災害に対して
国土が恐ろしいくらい脆弱な国。

これが日本の弱点といえます。


また、日本の問題として
最近テレビで無縁社会ということが取り上げられています。
人間関係がほとんどなくなってしまった人がいて、
亡くなった人がいても誰も気づかない。

年寄りだけでなく、若い人まで蔓延している。
自殺者が毎年3万人もいる。

3万人ということは、
毎日100人近くの人が自殺しているということです。


日本の経済力を見てみると、
世界ナンバー1といわれてた時代から経済力の指標が
どんどん下がっています。

経済には「守りの経済」と「攻めの経済」があります。

「攻めの経済」とは、
東京を中心とする国際競争力に打ち勝つような経済。
マネーゲーム的な経済。

「守りの経済」とは、
流域の単位毎にエネルギーと
水と食料が自給自足されるような世界の経済です。


攻めの経済がダメになったときに、
我々人類が安全であるためには、
流域を中心とする「守りの経済」があってこそ
ではないかと思います。


このような国家の衰退を劇的に改善するためには、
日本のガバンスのありかたを
「流域環境圏」という概念で区分してコモンズを作る。

そういうことにシフトしていくのです。


■■州郡制の提案■■

日本の国土というのは、山と海ばかりです。
海岸線の距離はアメリカや中国の海岸線より長いのです。
日本社会においてこの沿岸域を重要視しないともったいない。

また、日本には約3万5千の名前がついた河川があります。
日本列島、川だらけです。
それほど水循環に恵まれている国だといえます。

水や森林などのエネルギーが日本には溢れかえっているのです。


日本の森林は158区分にして林野庁が管理しています。
日本の河川は109の流域でもって国土交通省が管理しています。

全く違う区分の仕方をしています。

川と森林というのは、本当は一体化しないといけない。
こういうところに縦割り管理の問題がでています。


日本の地形を使って区分すると
18の「州邦」に分けることができます。

「州邦」というのは、
自然地理的要素である流域圏・沿岸域・気候区・島郡域・
湾域圏・ 内海圏・半島域・海峡域の圏域を分断しないことを
条件として区割りしたものです。

長野県、福島県などは、県が2つの州に分かれています。
県民の人たちに聞くと、これでいいといいます。

九州は3つの州に分かれていますが、
九州の人はおもしろいといいます。

何がおもしろいかというと、
言葉が州邦のように分かれているというのです。

それだけこの18の州邦の区分は
自然に感じてもらえているということです。


この18の州を、流域郡で区分する州郡制を作る。
郡で流域管理をするわけです。

これによって
今は担当官庁によってグシャグシャになっている水の行政が
統一的になります。


現在は、「国」があって「県」があって、
「市町村」があるわけですが、
「州郡制」というのは、統治形態としては、
頂点に「国家」があって、その下に「州邦」がある。

州邦には、「州」と「郡」があって、
「州」は都道府県と国とを合体した州政府であり、
議会を持っている。

「郡」は議会を持たない州の支庁です。
その下に、「基礎自治体」がある。


そういう「三段階のガバナンス」で
ピラミッド型に構成されているわけです。

若者が希望を持てる国にむけて、
こういう発想もおもしろいのではないかと思っています。



■■「里結い」がこの国を救う■■

流域郡で区分することで水の行政を統一することに加えて、
もうひとつ大事なことがあります。

流域の中でコミュニティが形成されるような
社会を作って行くべきです。

そのためには、
里山、里川、里街、里海などの心をつなぎあわせて、
新しい世の中を作っていこうという「里結い」を展開していく。


そういうことをやっていくためには
「山里クリエイティブコモンズ」というようなものが
できたらいいなと思っています。

これは、自治体、企業、NPO、大学、住民、諸団体が
渾然一体となって地域経営をする新しい概念です。


大都会から山里に人口を大移動することを狙うのであれば、
山里に飯を食う種がないといけない。

そのためには小さなビジネスであってもいいけれど、
集積をしないといけない。


今、全国でも村の中で適したビジネスの事例はたくさんあります。

ただ、ほとんどが単発なので
地域全体の活性化にはなっていないのです。


1つの良い事例ではなく、それを意図的に集めていく。
その中で役場も一緒になってやる。

今までのように役場が皆を治めているという発想ではなく、
民間が作ったコモンズの経営の中の1つが役場にある
という考え方です。


今は日本の法律の制約がありますが、
これからは民営自治体という事例研究をしていく必要がある
と思います。


また、山里の活性化には「医職充」がないといけません。

例えば、「医」としては、
女性が安心してお産ができる医療施設が必要です。

「職」としては、
自然環境保全ビジネスや情報系サービスなど
いろんなビジネスが考えられます。

人間の住まい方を根本的に見直して、
コミュニティが健全に形成されるような仕方というのは、
工夫すればきっとあると思っています。


日本の三つの苦悩である
「自然の荒廃」、「社会の退廃」、「国家の衰退」を
なんとかしないといけない。

そのために健全な流域社会を作っていきたい。
そして若者が希望の持てる国にしていきたいと思っています。

.2月例会
.

.2月例会

.
.

.

1月例会
2011/01/13

1月例会

●テーマ  「生活目線で政治を変える!」

●講 師 衆議院議員
      佐藤 ゆうこ 氏

●プロフィール

昭和38年1月生まれ
昭和58年3月 私立金城学院大学短期大学部保育科 卒業
昭和58年4月 学校法人自由ヶ丘学園 自由ヶ丘幼稚園 勤務
平成 4年4月 株式会社全映 講師

平成16年8月 三生保険サービス株式会社 勤務
平成19年4月 愛知県議会議員
平成21年8月 第45回衆議院選挙にて初当選

活 動
・「子どもたちのお日さまを守ろう会」元会長
・民主党愛知県第1区総支部長

モットー 
・減税
・議員は公僕、あらゆる議員特権を廃止




■ 名古屋経営研究会通信 2011/2/08
■■ 1月例会 講演レポート
■■   テーマ  「生活目線で政治を変える!」
■■■■ 講師  衆議院議員       
■■■■     佐藤ゆうこ 氏
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■       
 
                開催日 平成23年1月13日(木) 
     会場  札幌かに本家・栄中央店
 

■■普通の主婦から政治家へ■■

子供の通う幼稚園の前に建つマンションの日照権問題で
地域の方たちと一緒に先頭に立って運動していた私に、
河村市長(当時代議士)が
県議選の候補者としてスカウトの話をもってきたのが、
私が政治の世界に飛び込むきっかけになりました。


最初、市長のスカウト話に、
「それは騙されている」といっていた夫。
市長との面談を私たちは3回断りました。

4回目にして
ようやく河村市長との面談のお誘いを受けたのです。

決断をするまでには、友人にも相談しました。
自民党の金庫番をやっていたご夫婦にも相談をしました。
そこで、そのご夫婦の「やりなさい」という言葉。


あなたは、こういう話が、
誰にでも声がかかっていると思っているのかと。

あなたに声がかかったということは、
「あなたがやりなさい」と河村市長が教えてくれているんだ
といわれました。

この言葉で心が決まったのです。


私は、東区の県会議員の候補者になりました。
ところが、東区はベテラン県議。

「ベテラン県議」対「ど素人主婦」

勝つ見込みがないと、
当初はマスコミもそう取り上げていました。

そのとき、
政務調査費と費用弁償という議員特権の話が
争点になってきました。

そこで私は、費用弁償は受け取りません。
政務調査費は全面公開します。
これをひとつの公約にしました。


議員は歳費の他に会期中に出席をすると、
当時は1日、1万5千円が、費用弁償として、
歳費の他に落ちてきていました。

愛知県がおかしいのは、本会議に出た時だけではなく、
自分の執務だけで会期中に行った場合でも、
1万5千円がおりてくるのです。

その金額は日本一高い費用弁償ということで愛知県が叩かれて、
今は1万5百円になっています。

ただ、その金額プラス、
地域によっては4千6百円くらい上乗せされます。

政務調査費は、名古屋市は毎月55万円、
愛知県は50万円が議員におりてきます。

もちろんそれは領収書をだして、
妥当なものに対しておりてくるものなのですが、
私が県会議員になる前までは、返還の例はなく、
全部、使い切っていたのです。

政務調査費の使われ方について、
まだはっきりと決められていないグレーな部分があった
といえます。

ただ、このことについて多くの議員には
「皆が一緒だから恐くない」という意識があります。

政務調査費は個人におりてくるものではなく、
会派におりてきます。

会派で最終的に、お金を返還する、しないということを
決めるわけですから、
個々人が何に使ったかの責任は問われないからです。


今、政務調査費は県議会の場合、
3万円以上の場合は公開するとなっています。
ただ、例えば、
10万円のものでも2万ずつ分割にすると公開しなくていい
という抜け道があります。

この条例改正のときに、
私は裁決に対してどうしても賛成できないということで、
議会を退席したことがあり
ます。
そのことで、除名騒ぎにもなりました。


■■「生活目線で政治を変える!」〜国会議員への挑戦■■

それからしばらくしてから、国会に出ろという話がきたのです。
最初はすんなり「はい、行きます」とはいきませんでした。

県のことがようやく解り始めて、
もっと県のことをやりたいという思いがあったこと。

そして、県会議員にしてもらうために、
皆さんに応援をしていただいたという頭がありましたので、
ここで、県を辞めて国に出るというのは、
私には考えられなかった。

また、私には子どもが4人いて
一番下の娘が小学校6年生ですから、
東京に行くということが考えられなかったのです。

ただこれも、悩み抜いた末に、
私も民主党の一党員として、
自分の個人的なことを言っているわけにはいかない
という気持ちで、国会議員の候補者になりました。


河村市長は
市長選挙中で自転車で走ったのが1日平均40キロ。
私は1日50キロ平均で走り続けました。

とにかく有権者に会って、会って、手を振って、
街頭に立ってしゃべる。
それをやりました。

ただ、その選挙活動中で、
民主党マニュフェストに盛り込まれていた子ども手当と高校無償化、
これがどうしても自分の中でいえなかった。

どうして子ども手当が2万6千円なんだろう。
高校無償化をしたらどういうことになるんだろう。
こういうことが党内で簡単に決まったのか。
どういう経緯でマニュフェストが出来上がったのか。

これが納得できなかったのです。


今の民主党は、良いところなしです。
でも、高校無償化については、私は納得しました。

諸外国に比べると日本は教育にかけるお金がかなり少ない。
子供には平等に教育を受ける権利を与えるべきだと思います。

子ども手当については、
今のやり方はベターではありますが、
ベストはこれから見つけていかないといけないと思います。


国会議員になって1年4ヶ月。
「生活目線で政治を変える!」
ということをキャッチフレーズにしてきました。

私は普通の主婦でした。
子供の前では正直にありたいと思っています。

ウソをつけば、私の場合は顔にでます。
イヤなことも顔に出る。うれしければ笑う。

それが政治家にはなかなか受け入れられないのですが、
そういう普通の人がいてもいいのではないか。
普通の生活をそのまま政治に持っていく。
そう気持ちで、身近なことから正していきたいと思っています。


文部科学の会議の中で、
国公立大学の奨学金や、私立大学の補助金の話がでました。

私立大学に望んで行かれるお子さんもいれば、
国公立を目指していたけれど、高校のときに、塾にも行けず、
頑張ったけれど学力がおよばず、
私立大学にいかれるお子さんもいる。

私立大学に行っているお子さんがお金持ちで、
国公立に行かれているお子さんより、
優遇されている環境の中で育っている
というわけではないのです。


私自身も実際に子供を育て、生活をしていて、
私立大学に行かれているご家庭は本当に大変だ
ということを実感しています。

ところが、
そこがわかっていない議員もいらっしゃいます。
私立大学に行かせている家庭は裕福だと思っている。


これからも生活目線で、
「私だからいえること」を、言っていこうと思っています。

政治というものは、
本当に皆さんの生活を預かる立場の人間が集まっている。
だから、心からやらないといけない。

まずは自分たちの襟を正して、
しっかりとやっていかないといけないと感じています。


menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ