レポート・歴史

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.■1月例会 講演レポート
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.■平成24年1月例会


 ■1月例会 講演レポート

   テーマ 「あなたが輝くハグニケーション」

   講師  日本ハグ協会 
      高木 さと子 氏 

   NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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            開催日 平成成24年1月18日(水)  
     会場  ローズコートホテル 


■■強い使命感が生んだ「日本ハグ協会」■■

私は二十歳で淑徳短大を卒業して、普通のOLになりました。
その後、20代半ばで結婚。

5年間、専業主婦をしましたが、
その後、飛び込んだのがエステ業界でした。

そこでの経験がきっかけで心理学の勉強をスタート。
本格的に勉強し、資格を取って講師などもやり始めました。


ところが私に突然の不幸が訪れたのです。
仕事中に夫から電話で呼び出されて、行った先が病院。

医師から告げられたのは、夫のガン、
余命4ヶ月の宣告だったのです。


家族がどうしたら笑顔になれるんだろうということを
思い悩みました。
そこで私がやったのは、自分が笑顔でいること。

そしてもうひとつやり始めたのが、
家庭内でのハグだったのです。

ところが、1年間、元気だった夫が、
あるとき私が夫に「おはよう!」といってハグをしたら
「痛いっ」というのです。


「ここに自分の夫がいるのに、
もう思いっきり抱きしめることもできないんだ」

と思った時に、
「ああ、これは伝えなくっちゃ」という使命を感じました。

これが「日本ハグ協会」誕生のきっかけだったわけです。


ただ最初、具体的なアイデアは全くありませんでした。
そこからハグニケーションというものを広めていく上で、
ずっと意識してきたことがあります。

それは、どんなときでも
「自立型の姿勢」で物事に取り組むことです。


人には依存型と自立型の姿勢があります。

依存型の姿勢の方は、
問題が起きた時にまずはピンチだと思う。

ピンチだと思うと思考がどうなるのか?

あいつのせいだ、不景気だからだ・・・というように、
何かのせいにします。
そうすると、「人を変えよう」という発想になる。

他人を変えることはできないので、自分がイライラします。
不満やストレスで一杯になります。


これが自立型の姿勢になると、
これは新しいことに挑戦できるチャンスだ。
もっと成長できるチャンスだと捉えることができる。

そう考えることができたとき、
人は、初めて自分の中に原因を見つけることができるわけです。

「自分を変える」という発想になる。

人は行動したときに成長していきますので、
ワクワクするし、楽しい。


「自立型の姿勢」

私は、これを目指し、チャレンジしてやってきました。


■■シアワセを実現させる「ハグニケーション」■■

「日本ハグ協会」というと、
フリーハグを広める活動をイメージされる方が多いのですが、

そうではなくて、
心理学的に人のモチベーションを維持させるための
スキルを高めていきましょうという活動です。


最初、ホームページを使った時、
会員登録制というものをやってみました。
そこで仲間作りをやりました。

次に思いついたのが「はぐよ日本縦断の旅」です。

私以外にも伝える人がもう一人いたらいいな
という思いから、

たった1つだけ「はぐよちゃん」というぬいぐるみを作り、
この子を旅に出したらどうだろうことで始めたのです。


2010年8月9日を「ハグの日」と決め、
「はぐよちゃんを、欲しい人!」といって、
ジャンケンで勝った人に持っていってもらいました。

はぐよちゃんが持っている赤いポシェットには

「私を受け取ってくれたあなたは、
目の前の家族の大事な人をムギュっと抱きしめて、
その写真と感想を私に送って下さい」

と書いてあります。


「ハグニケーション手ぬぐい」というものも作りました。

ブログで募集した48種類の
「目の前の人が元気になるハグ」が描かれた手ぬぐいです。

普段、会話のないご夫婦に
「ねえねえ、今日はどのハグにする?」
「私はこれがいいんだけど」というような会話をする
きっかけを作るコミュニケーションツールです。


「日本ハグスポット100選」

これは、愛を確認し、愛を深めるために
わざわざ行きたくなるポイント100ヶ所を
日本ハグ協会が認定し、

恋人とハグスポットをつなぐ、
少々おせっかいな幸せお手伝いプロジェクトです

認定 第一号は、名古屋のテレビ塔。

去年の2月13日にバレンタインイブということで
認定式をやりました。


その他には、
新しいチャレンジとして、
福島先生を迎えて、「平成の社長塾」を開催し、
自立型姿勢メンタリング相互支援というのを
学び続けています。


心理学で、ストロークという言葉があります。
ストロークというのは、心の壷に与える栄養のことです。

例えば、
「おはよう」といえば、「おはよう」と言ってあげる。

美容院にいったら、
おっ、髪を切ったの?と違いに気づいてあげる。

相手のことを見ているよ、知っているよということを
伝えてあげる。

このようにして心の壷が一杯になっていくと、
人は無理に努力しなくても
自分から笑顔を投げかけることができるようになるのです。

だから、リーダーは、
自分の壷を一杯にしておかないといけない。

自分の心の壷が空っぽになっていたら、
辛い状態で人に愛情を注がないといけなくなって
しまいます。


日本人は、自分が犠牲になっても人に愛情を
と思いがちですが実は違います。

一番大切なことは、
自分自身の心の壷を一杯にして、
もっと自分をハグしてあげることなのです。

心の余裕がないと人を抱きしめることなどできません。


私たち家族にとって、
夫がいなくなったことが1つの試練だったわけですが、
これで試練は終わりませんでした。

上の兄が、中2のときに、
突然、学校に行かなくなったのです。

ただ、そのとき私はこういうふうに考えました。
この子は1年間、学校に行かないと決めたんだな。

そうすると、
今日こそ行って欲しい、明日こそ行って欲しいという、
毎朝の葛藤がなくなります。

そういう気持ちでいないと、
本当の笑顔、ストロークは投げられないと思います。

私は、息子に
「お母さんは、人の話を聴くのが仕事だからね。

あなたの話を聴く準備はありますよ」
というメッセージだけは、毎日伝え続けました。


そうしたところ、
ある日の夜、私の部屋に息子が来たのです。

「お母さん、僕、夢ができたんだ」というわけです。

ミュージックコンポーザーという仕事があってね。
3歳からゲームを初めて、
僕はずっとゲームにワクワクしてきた。

これからは人がワクワクするような、
ゲームの音楽をコンピュータで作る仕事をやりたい。

そんな明確なビジョンを語ったのです。

そのことがあってから
息子は学校に行くようになりました。


傍から見ると、ただの不登校児。
でも、その心の中の扉を開けてみると、
ワクワクして夢に向かって動いている少年だったのです。


相手が何を求めているのか。
何を大切にしているか、というのは、
会話をしていないと判らない。

会話をする前に、
自分が笑顔じゃないと相手も口を開けない。
心を開けない。


つまり、
自分がどういう姿であるかということに尽きます。

私はたまたま親子との関係だったのですが、
これは、いろんなところで同じです。

相手の気持ちを聴いて、
それを応援してあげられるということが、
絶対にリーダーにとって大切なことだと思います。

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毎年恒例 蔦茂での忘年会
2011/12/30

日時 平成23年12月27日(火)    宴会開始 18:00
余興 「名妓連・舞妓と芸妓とお座敷遊び」

会場 料亭 蔦茂(つたも) 名古屋市中区栄3-9-27
   TEL 052-241-3666  http://www.tsutamo.com/ 
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毎年恒例 蔦茂での忘年会
.2011/12/30

余興 「名妓連・舞妓と芸妓とお座敷遊び」

11月例会
2011/11/23

11月例会

●テーマ  「古地図を手に城下町名古屋を語る」

●講 師  株式会社北見式賃金研究所
      所長 北見 昌朗 氏        

●プロフィール

中学の担任が歴史の先生。

弥生式土器が専門というだけに弥生時代は延々とー。
授業は現代史まで届かず、
受験には役立たなかったが歴史好きに。


経営者となった今は「歴史に学ぶ経営」がテーマ。
平成22年に執筆したのは「愛知 千年企業 江戸時代編」で、
それに続く明治編、大正編と並んで3部作になる。

中京財界史に挑戦した本は、
昭和30年発売の「創意に生きる」(城山三郎氏)以来。


桶狭間の合戦の武功にどんな恩賞が与えられたのかを調べた
『織田信長の経営塾』(講談社)、
『武田家滅亡に学ぶ事業承継』(幻冬舎)など著書多数。

社会保険労務士。名古屋市出身。昭和34年生まれ。

http://www.tingin.jp/



●日時 平成23年11月21日(月)  
   
18:00 受付
18:30 講演会
20:00 懇親会

   

●会場 札幌かに本家・栄中央店  
    TEL 052-263-1161
    http://www.kani-honke.co.jp/  


..■11月例会 講演レポート
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.■11月例会 講演レポート

   テーマ 「古地図を手に城下町名古屋を語る」

   講師  株式会社北見式賃金研究所
      所長 北見 昌朗 氏 

   NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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            開催日 平成23年11月21日(月)  
     会場  札幌かに本家・栄中央店 


名古屋の旧町名復活を目指して

■■江戸時代の名古屋の生い立ちについて■■

家康公が清洲越しをしましたが、
清洲城があるところが海抜5メートル。
名古屋城があるところは15メートル以上あります。

名古屋城の場所に立てば全部見渡せるポイント。
つまり、5メートルから15メートルへ
高台移転したのが清洲越しです。


駿河湾沖の東海大地震というのは160年前、嘉永7年です。
その津波というのは、堀川まで襲来しました。

尾頭橋まで達して、以西を冠水した。
つまり、伊勢湾台風の冠水エリアと全く同じです。

そういうようなことがあって、
それで名古屋城の北側の名城公園、これは巨大な沼でした。

そうすると最北から攻め入るときに、
堀川があるため攻められない。
名古屋は非常に攻めにくい城塞都市だったのです。


古地図を見ると笹島に「支那忠」とありますが、
これは乃木大将が泊まった旅館です。

明治19年に名古屋駅ができ、あたりは葦がしげる沼地でした。
地盤の悪い場所です。
東の方を見てみるとチンチン電車が走っていたのがわかります。


蒲焼町は今の「錦通」のことです。
一説によると、名古屋城、築城の際に、
職人さんたちが、蒲焼を食べる店が一杯並んでいた
といわれています。


世の中、伝馬という場所が多いですが、
ここは飛脚の場所です。

江戸時代はこの伝馬町と本町がクロスするところ、
ここに「札の辻」という立て札があります。

伝馬町を本町からちょっといきますと
名古屋銀行(東海銀行の前身の1つ)があります。

場所は、現在の八木兵本店です。
これをつくったのはタキヒョーの滝さんです。


その下に明治銀行がありますが、
この銀行を作ったのは奥田正香さんです。

この奥田正香さんは20年以上、
商工会議所の会頭をやったドン中のドンです。

既存の勢力に対抗する意味で作ったのが明治銀行。
現在は、八木兵さんの伝馬町支店になっています。


そこからずっと西を見ていきますと三井銀行があります。
さらに、第一銀行があり、関戸銀行があります。

この伝馬町は、
明治名古屋のウォール・ストリートでした。


■■豊田佐吉翁にまつわる明治時代の名古屋の話■■

現在のテレビ塔の西側に、たての街がありますが、
そのもう1ブロック向こう側が朝日町です。
ここは、豊田佐吉翁の創業の地です。

佐吉翁は慶応3年生まれ。
湖西市で貧しい農家に生まれ、
お母さんが機織をやっていました。

その、機織を自動化するということで、
織機の開発が始まるのです。


湖西で過ごし、半田の乙川というところに行き、
そこで織機の開発にめどをつけます。

これで俺もいよいよ創業するんだ、
といってスタートを切ったのが、この朝日町です。

翌年に移転したのが現在のテレビ塔の南側、宝町。


次に引っ越したのは、現在も残っている武平町です。

桜通にあるトヨタホームの東側にマンションがあります。
そこが武平町工場の跡地です。

そこは300坪の敷地がある本格的な工場でしたので、
そこから世界にめがけて織機の輸出が始まりました。

非常に一躍脚光を浴びたものですから、
大隈重信など、全国の著名人がどんどん視察に訪れた場所です。


佐吉翁というのは、商売人ではありませんので
特許権、知的財産権などというような発想はあまりない。
実際には開発にお金を使いすぎまして、
豊田式織機で解任になってしまいました。

そこでアメリカに行って見たのが、自動織機だったのです。

今度は、大手の力を借りずに、
自分で借金してやるんだということでやったのが、
栄生のノリタケの場所だったのです。


これができたのは大正元年ですからすでに彼は45歳。
当時の45歳というのは、
感覚としては今の55歳よりもっと上です。

60歳近くの人が、人生再チャレンジの場所だったのです。

清水口のところにダイキン工業がありますが
そこが豊田佐吉翁の邸宅跡地です。


道をまたいで、豊田利三郎さんという名前があります。
この方は、娘婿です。

佐吉翁は発明ばかりやりますので、
実際に豊田という会社の実質的な切り盛りをしたのは
この利三郎さんです。

その南側にあるのがソニーの盛田さんのご自宅。
そのまた横になるのが、豊田喜一郎さんです。


喜一郎さんを生んだのは、たみという人なのですが、
佐吉翁がどんどんと借金をするものですから、
愛想を尽かして出ていったのです。

当時、少年だった喜一郎は湖西にいたのですが、
佐吉翁が再婚し、
呼び寄せて一緒に暮らすようになったのが武平町の
自宅兼工場です。


佐吉翁は特別な人望、人徳を持っている人で、
彼を応援しようとする人がどんどんやってきました。

そのうちのひとりが服部兼三郎さんという人です。


この人は繊維の業界で、一代でのし上がっていった人です。
彼は祖父江重兵衛商店(糸重)の丁稚として働き、
娘までもらいながら、
次期後継者の期待を受けるという大変なやり手な人でしたが、

飲む打つ買うの、やり手だっために、
追放されてしまい創業したのは八百屋町です。

ところがそこが丸焼けになって、移転したのが宮町。
そこで服部商店として、
大陸に糸を売りまくって大成功を収めるわけです。


その服部商店で丁稚小僧だったのが、
後のトヨタ再建の男・石田退三さんです。


石田退三語録の中ででてきますが、

ある日、みすぼらしい格好をしたオッサンが、
ぬおっと入ってきた。
挨拶もせずにただ立っている。

それを見つけた主人が、「さあさあ、どうぞ」と通した。

主人は「今日はいかほど?」と聞いたら、
「今日はちいと高くてすまんが25万円ばかし貸してくれ」
といったそうです。

当時の25万円というのは、現在では1億を超える。
それを、借用証書も書かずに、
ありがとうとも言わずに出ていったそうです。

これを見て肝をつぶした退三さんは、
「あの人、どういう人ですか?」と聞いたら、

「お前、よく覚えておけよと、
 あの人は豊田佐吉さんといってな・・・」

といったエピソードがあるのが、ここの場所です。


ところが第一次世界大戦があって糸が暴落してしまった。
兼三郎さんは自殺に追い込まれてしまったのです。
その葬儀委員長は佐吉翁です。

その再建に取り組んだのが三輪常次郎。
それが興和さんです。


名古屋には見れば見るほど変わった町名があります。
町名は文化、歴史だと思います。

だからなんとか
町名復活運動をどうやって進めたらいいのか
協力を仰ぎたいと思っています。

10月例会
2011/10/27

10月例会

●テーマ  「今インターネットの時代 TwitterとFacebook セミナー
          −増殖するソーシャルメディアと企業の関係−」

●講 師 株式会社J&Tシステムズ
      代表取締役 清田 常治 氏          

●プロフィール

昭和34年11月 埼玉県川越市生まれ 
昭和57年 中部大学電気工学科卒 
       
昭和57年 (株)メイテック入社
      半導体設備の設計、電力会社の配変電盤の設計

昭和63年 新日本非破壊検査(株)入社
平成元年  同社 名古屋事務所 所長     
      (異業種交流会21世紀クラブを設立)

平成14年 (株)J&Tシステムズ代表取締役 
      資本金2000万 社員24人H20年

http://twitter.com/#/GeorgeJapan
http://www.facebook.com/kiyotajoji
BLOG http://www.jt-sys.co.jp/~j-kiyota/



●日時 平成23年10月20日(木)
   
18:00 受付
18:30 講演会
20:00 懇親会

    ※くれぐれも時間厳守でお願い致します

●会場 ローズコートホテル 名古屋市中区大須4-9-30 
    TEL 052-269-1811 

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■10月例会 講演レポート

   テーマ 「今インターネットの時代 TwitterとFacebook セミナー
       −増殖するソーシャルメディアと企業の関係−」 
        
   講 師 株式会社J&Tシステムズ
       代表取締役 清田 常治 氏 氏 

 
   NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
            開催日 平成23年10月20日(木) 
     会場  ローズコートホテル


本日は、SNS:ソーシャルネットワークの活用法
(経営者として)を説明いたします


まず、歴史を振り返ってみます。

30年前のパソコンと言えば、PC98ばかりでした。
それが今では殆どがWindows。

AppleのMacは5%程度のシェアーですが、
スマートフォンでは約50%、
Linuxはサーバー系に限定されています。


携帯端末のOSは
@ガラパゴス携帯から現在はスマートフォンに移行しています。

Windowsは
AWindowsPhone、GoogleはBAndroid、AppleはCi-Phone。
大雑把に4種類が存在。


■SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)について

ブログというのは、ウェブ・ログ(WEB LOG)の略です。

最初、シックス・アパートという会社が
Movable Typeというものを無料で配布していました。

最初は誰も利用価値を見出せず、
試行錯誤の時代を経て、個人のブロガー、
更に企業のTOPが語りかける手法として利用が拡大しました。


その後システムの利便性向上のバージョンアップ
(オープンソース化)があり
企業サイトでの利用が促進されました。


SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の開発も、
最初は技術者が手弁当で趣味としてやっています。

今でも、オープンソースのコミュニティは
盛んに活動をしています。


★Twitterは、投稿の上限が140文字。
 ただ、日本や韓国、中国は、2バイト文字といいまして、
 データ量としてはアルファベットの2倍を使いますので、
 同じ140文字でも、
 英語より少しだけ多くの情報を使うことができる
 ことになります。

 Twitterで1つ覚えておいていただきたいのが、
 「ハッシュタグ」です。

 文章の後に、ハッシュタグで、「#○○」と語ると、
 ○○のことについて検索する人は
 その情報を収集できることになります。


★Facebookはハーバード大学の新入生のアルバムで
 誰がかわいいかという学生の遊びがスタートでした。
 
 例えば、対象の女性が100人いたなら、
 そこから無作為に2人でてくるようにして、
 ウェブ上でミスコンをやったのです。

 現在、Facebookの利用者は8億。
 去年6億でしたから、もう2億増えていることになります。


★MySpaceは、スタートは、Facebookより少し前で、
 どちらかというと芸術系です。


★Linkedin(リンクトイン)これは同じSNSでも
 リクルートがやっているリクナビNEXTの
 秘密版のような感じです。

 海外の人材採用では有効な手段。
 今年の春IPOをした。

★NICe(ナイス:National Incubation Center)は
 経済産業省の音頭で始めたSNSです。

 B to Bの取引が促進されるような工夫があります。
 これも利用は無料です。



私は、ブログとTwitter、この2つしか書きません。

2つしか書きませんが、
1つ書くとブログ→GREE(グリー)→NICe(ナイス)→N1→mixi
というように4つのSNSに投稿されるようになっています。


Twitterの方も、同様に
mixi→Linkedin(リンクトイン)→Facebook
というように投稿されるようにしています。

初めは、1つ書くと全てのSNSに投稿される方が楽かな
と思ったのですが、

集まっている人や目的がちょっと違いますので
私は2つに分けて投稿しています。


今までも色々なサービスがでていましたが、
出ては消え、出ては消えになっています。

ブログでも最近、閉鎖しているところが多く見られます。

そうすると今まで書きためたブログ記事が
一瞬にしてパーになってしまうわけです。
ところが私たちは、これらのサービスを無料で使っている。

ですから、
何があっても文句は言えないというふうに思って
お使いになった方がいいと思います。
(バックアップが可能なサービスを利用してください)


BtoC(Business to Consumer)
インターネットを使って、一般消費者にモノを売る
という人はTwitterもFacebookも非常に有効ですから
ドンドン使うべきだと思います。


BtoB(Business to Business)
では、インターネットを使った企業間の取り引きで
どうやったら成功するのか

自社のホームページに
FacebookボタンやTwitterボタンをつけておくと
ホームページを見てくれた人たちがFacebookや
Twitter上でつぶやいてくれます。

そのつぶやきが記事として載ると、
私の場合であれば、
私のFacebook上の「お友だち」が約2000人いますので、
自動的にその2000人のページに載ることになるのです。

昔だと、そのページの情報を
自分のTwitterなどにコピー&ペーストで書いていたのですが、
今は、1クリックですから、非常に情報発信しやすいわけです。


■ハードについて

今から道具のことについて少し話をしたいと思います。

会社の中で、情報漏洩の問題としては、
社員の問題が一番大変です。


システム構築の途中でシステムを管理していた社員が突然退社。
半年かけて作ったシステムがパーになってしまった、
なんとかして欲しいとか。

あるいは、
ある社員が、パスワードを変えて退職をしたことで、
パソコンが全然使えなくなったという実例もあります。

どちらも解決するのに、大変でした。


そろそろ64bit化ということで
Windows7か8かということなのですが、

プリンターや、その他の周辺機器など、
古いハードウェアを使いたいと思うと、
パソコンを新しくしたときに、それが使えない可能性があります。

そうすると場合によっては、
XPを買ってくるというのも1つの選択肢になります。


今までは仕事で使うものは会社支給すべき
という考え方があったのですが、

最近では、スマートフォンは、個人のものでもいい。
その代わりアプリをちゃんと管理してね、
というような方向に持って行こうとする大手が増えています。


そのスマートフォンですが、
携帯電話を初めて買った時というのは、
すごく便利さを感じたかと思います。

ただ、スマートフォンは、
それより設定が複雑で困惑することが多いでしょう。

しかしながら、
使っていくうちに、だんだん便利さを感じていく。

買ってきたときが実感10だとすると、
使い込んでいくと100になる。

スマートフォンはそんな感じだと思います。


SNSもブログも同様です、
まずは試行錯誤で良いのでどんどん使用してみましょう。

また、判らないことがありましたら、
気軽にお声を掛けてください。

以上ご静聴ありがとうございました。

 

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■9月例会 講演レポート
2011/09/24

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2011/9/21━━━

  ■9月例会 講演レポート

   テーマ 「親切をすると会社がもうかるのか!?」

   「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動代表
   コラムニスト 志賀内 泰弘 氏 

   NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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            開催日 平成23年9月13日(火) 
     会場  料亭 蔦茂


■「give and give、and give give give!」の心

「プチ紳士、プチ淑女を探せ!運動」

これは、例えば、
お年寄りが困っていたらちょっと席を譲る。
ああいいなあと思ったら、自分が今度は違うところでやる。

そういう小さな小さな親切を探して、それを見つけ、
それをグルグル回して、
世の中を良くしていこうという運動です。


エレベータに乗ったりして、
荷物をいっぱい抱えて困ったなと思っていたら、
パッとドアを押さえていてくれるとか。

そういった小さな親切を日ごろから、
私たちはいっぱいされているわけです。

されているけれど、
いつ、どこで、誰にされたかというのは、覚えていません。
人からしてもらった小さな親切というのは、忘れてしまう。


「親切」というのは何なのか?

見返りを期待しない行為です。

どれだけ与えて、与えて、与えて、
見返りを期待しない心を養えるのか。

give and give、and give give give!
takeを求めない心をどれだか養えることができるのかです。


中国に漢民族の一部といわれている客家(ハッカ)という
民族がいます。

客家の家は、
イタリアのコロッセオのようなドーナツ型をしています。

この民族は大変、優秀で、少数民族であるにも拘らず、
ケ小平(トウショウヘイ)、李光耀(リー・クァンユー)など
優秀な人たちを輩出しているのです。


以前、NHKのディレクターが
長老にインタビューをしたそうです。

なぜ、あなたたちの民族というのは
優秀な人たちを輩出することができるのですか?


「右隣の人に親切にされたら、その人に親切を返してはいけない。
 それがこの村の決まりだ。」

と長老がいった。

なぜか?
それは、右隣の人に親切を返してしまったら、
それで終わってしまうからです。


これを経済に置き換えるとよくわかります。

ある人に1050円のものをお土産としていただいたとします。
そこで今後は、あなたが1050円のものを、別の人にする。

その別の人がまた、別の人に、あげる・・・
ということを10回繰り返すと10500円。

人に与えるということを、皆がしていくことで、
大きな額になっていく。

お金に換算すると、すぐにわかることが、
親切に換算するとなぜ人は、やらないのか。

会社の中でやるだけでも、絶大なエネルギーになるのです。


■儲かる会社の共通点

リッツカールトンホテルのホテルマンというのは、
普段、電車に乗るときには、席に座りません。

席に座っていて、
その席が必要となったときに譲るのでは遅い。
その席は、最初から空けておかないといけない。

携帯電話の電源も切っている。

周りに心臓に
ペースメーカーを埋め込んでいる方がいたときに、
影響を受けるかもしれない。

携帯電話でメールをしている姿を見るだけで、
動揺するかもしれないからです。


身の回りの公共の場で、
そういうところまで、気づかうことができる人だからこそ、
仕事の場において、
一流のサービスをしようと思ったときにできるのです。

普段、公共の場で、
自分は自分、人は人と思っているような人が、

出勤して、タイムカードを押して、
さあ今から一流のサービスをしようと思ったところで、
できるわけがないのです。


あるとき、
モスバーガーの社長さん宛に、
ある奥さまからの1通の手紙が届いたそうです。

午前10時半頃、
国立がんセンターに入院中の15歳の二男に、
てりやきバーガーが食べたいといわれ、
WINS銀座前にある店に買いに行ったそうです。

朝のメニューにテリヤキバーガーがなく、ちゅうちょしていると、
「少々お時間を頂ければ、おつくりします」と言って、
すぐに準備を始めてくれたのです。

そのとき初めて、
入院中の子供に持っていくことをお店の女性に話したそうです。

帰り際、お店の女性は、
「お大事に」と声をかけてくれた。

病院に帰り袋を開けてみると、
中に小さなメッセージカードが入っており
「早く元気になってくださいね」と書いてあった。


息子が発病してから1年半余り、
つらいことばかりの中で、
知人友人以外の方のこんな優しい気持ちに触れたのは
初めてです。

若い女性が優しい気持を失わずに働いていることに
本当に感動しました。

とその奥さまからの手紙には書いてあった。


当時、対応をしたのは、工藤さんという女性でした。
私は工藤さんに会いたくて、モスバーガーに行ってきました。

工藤さんはすでにその店にはおらず、
本社に招かれて、本社の中で、
社員を教育する立場になっていました。

業界では、「モスの工藤さん」といえば、有名な人です。


ここで1つ疑問がでてきます。

フランチャイズの仕事として、
メニューにないものを出していいのかということです。
マニュアルにはないことですので、違反なわけです。

例えば、
レストランが閉まる直前にお客さんが飛び込んできた。

そこで、店を閉めずにごはんを提供していいのかどうか?

そこで、どうぞ、どうぞと入れてしまって、
そのお客さんは喜んで帰って行って、

もし、他のフランチャイズの店で、
同じような時間に飛び込んだ時に「これは決まりですから」
といって断ったらクレームになるわけです。

親切だと思って、
ある1つのお店がOKとしたことが、
全体としてはマイナスになってしまう。


そういうときにどういう対応をしたらいいのか、
とても難しい判断を迫られるわけですが、
モスバーガーのナンバー2、田村茂さんにこのことを
お聞きしました。


どうぞ、どうぞ、いいじゃないですか、クレームになっても。

お客さまに喜んでいただくのがサービスで、
マニュアル以上のことをどれだけできるのか
ということがサービス。

「ここまでやればいい」ではなく
「ここから何ができるか」であって、
それができないようなオーナーでは困る。

と田村さん。

そういう考えで、サービスをしているから、
モスバーガーは同業他社とは違うなと
皆さんはお感じになるのではないかと思います。


デイズニーランドが、なぜ、あれほどまでに人気なのか?

今度の震災でもありましたが、
当日、店内にいるお客さんに
無償でいろんなものを提供したりしていました。

そのエピソードについて、
デイズニーランドは、ひと言もしゃべってはいない。

その親切をされた人たちが、周りに話す。
だから、どんどんとリピーターが増えていくわけです。

流行る店というのは、そういうことではないでしょうか。

たった1回売るだけなら、
1円でも安くして価格.comに載せれば、絶対に売れる。

でも、さらにもう1円安くするところがでてくれば、
お客さんはそちらの方へ行ってしまうわけです。


家庭でも子供に、挨拶をしないとダメだよ
と言っているにも拘らず、
自分が会社に行くと、「おはよう」といわない。

なぜ部長の方から先に、
部下に対して、おはようといわないのか?

下から先にいうのが当たり前だというのは、間違いです。
自分が、平社員だったときのことを、
いつのまにか忘れてしまっているからです。

そういう簡単なことをするだけで、
会社というのは、儲かる会社になっていくのです。

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