レポート・歴史

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■平成24年4月例会
2012/04/7

■平成24年4月例会
 
栄ミナミ地域活性化協議会と共催予定


日時  平成24年4月7日(土)  開宴 18:30

テーマ 「あいち戦国姫隊と若宮八幡社・花見の集い」
  http://www.busho-aichi.jp/japanese/hime/
    男の時代と思われがちな戦国の世にも、
    美しく、しかも凛とした花を咲かせた女たちがいました。
    愛知出身の武将のかたわらで、つねに武将を愛し、
    心ときめかせながら、武将を支えた6人の姫たちと
    尾張総鎮守若宮八幡社で観桜会、
    お料理は料亭蔦茂からお届けします


会場  若宮八幡社会館 2階・宴会場  
    名古屋市中区栄3-35-30
    http://www.wakamiya-bridal.com/  

地図ーーhttp://www.wakamiya-bridal.com/access/index.html


.■平成24年4月例会
.

あいち戦国姫隊-ー映像 

.http://www.youtube.com/watch?v=fZ5Ax0P7cig

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3月例会
2012/03/17

3月例会

●日時 平成24年3月15日(木)
   
18:00 受付
18:30 講演会
20:00 懇親会




●テーマ  「楽しみとしての地獄絵」

●講 師  愛知教育大学 美術教育講座 美術史研究室  
      准教授 鷹巣 純 氏                

●プロフィール

1965(昭和40)年7月 愛知県岡崎市 生まれ
1989(平成1)年3月 名古屋大学文学部卒業

1991(平成3)年3月 名古屋大学大学院文学研究科
博士前期課程修了 
1993(平成5)年4月 名古屋大学文学部 助手 着任

1994(平成6)年4月 愛知教育大学教育学部 助手 転任
1997(平成9)年1月 愛知教育大学教育学部 助教授 昇任

2007(平成19)年4月 愛知教育大学教育学部 助教授より
准教授へ職名変更

主な著述として、
『マンダラ宇宙論』(共著)
『地獄遊覧 −地獄草紙から立山曼荼羅まで−』(共著)

『中世日本の物語と絵画』(共著)
『愛知県史 別編 文化財2 絵画』(共著)ほか多数


   ●会場 札幌かに本家・栄中央店
    TEL 052-263-1161 
    http://www.kani-honke.co.jp/

.3月例会
.

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2012/4/20━━━

  ■3月例会 講演レポート

   テーマ 「楽しみとしての地獄絵」

   講師  愛知教育大学 美術教育講座 美術史研究室  
      准教授 鷹巣 純 氏 

   NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
         開催日 平成24年3月15日(木)  
   会場  札幌かに本家・栄中央店 料亭 蔦茂 


日本に現存している地獄絵の中で一番古いものは、
東大寺二月堂の本尊舟形光背に描かれているものが
最古のものです。


仏教では「六道輪廻」という考え方があります。

この世に生まれるものは、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人のいずれかである
と考えられていました。

グルグル生まれ変わり、死に変わりして、
抜け出すことができない。

仏教での苦しみというのは、地獄に落ちることではなく、
そうやって安定しないあり方が永遠に続く
ということなのです。


今日のテーマは地獄ですので、
地獄だけ見ていきたいと思います。


人間界から1千由旬(1由旬14.4キロメートル)の地下に
最初の地獄「等活(とうかつ)地獄」 があります。

1つの地獄は、一辺1万由旬。
14万4千キロ、四方の壁に囲まれた監獄です。

さらに1千由旬下ると、「黒縄(こくじょう)地獄」
その下には「衆合(しゅうごう)地獄」

さらに「叫喚(きょうかん)地獄」「大叫喚地獄」
「焦熱(しょうねつ)地獄」「大焦熱地獄」

そして最後に、重い罪を犯した者が落ちる地獄
「阿鼻(あび)地獄」があります


何しろ、この阿鼻地獄は
地下、一番深いところにあるわけですから、
2000年、真っ逆さまに落ち続けるのです。


そうした地獄を描いた絵の中で、
最も有名なものとしては2つあります。

1つは「地獄草紙」という絵巻物。

もうひとつが、
滋賀県の聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)にある
国宝の「六道絵」

全16の掛け軸の中の4つの掛け軸が地獄を描いています。


「六道絵」は、日本の地獄絵の中でも、
例外的に、情け容赦のない描写をしています。
日本の地獄絵の多くは、こんなきつい描写はしません。

なぜなら、

地獄でも期限がある、
やがて終わって次のところに行くところであって
全くの絶望の世界ではない

という考え方だからだと思います。


地獄絵というと、
大変恐いという印象を持っていらっしゃる方が多い
だろうと思います。

ただ、
日本の地獄絵を見ますと、意外と楽しいことが多い。

これから、地獄絵をいろいろ眺めながら、
そこに潜んでいる、さまざまな楽しみというものを
見ていくことにします。


■■地獄絵の想像力と笑い■■

昔から、おじいさん、おばあさんに説教されるときに、
「そんなウソをつくと地獄で閻魔さんに舌を抜かれるぞ」
という話をよく聞いたと思います。

舌を噛んでも痛いわけですから、
舌を抜くことがどれだけ痛いことか想像がつきます。

ただ、抜かれるだけならまだいい。
地獄を想像した仏教徒の想像力はそんなものではありません。


地獄の中の地獄、阿鼻地獄の絵を見ますと、
人の口から、舌が、ずっと、ずっと伸びています。

放っておくと縮んでしまいますので、
杭で留めて広げています。

そしてまるで布団のように広がった舌の上を
虫がついばんでいる。


こういう絵を見ると、ひどいという気もしますが、
意外に仏教の表現というのは、
ユーモラスな側面があるのではないでしょうか。

もっとひどいものになると、
広げた舌の上を耕して畑にしています。


中国の北州の武帝のところに仕えていた
料理担当大臣の物語があります。

料理担当大臣がある日、急に死んでしまいました。
そして、閻魔から派遣された役人が連れていったのです。

実はお前の主人の武帝が亡くなって、裁判をしている
というわけです。

今、問題になっているのは、
武帝が生涯で卵を何個食べたかということが
問題になっている。


そんなこといわれても、
彼も、卵の数を記録しているわけじゃありませんから

「いや、それは、私でもわかりません」
と彼は正直に言った。


ところが、卵の数を計算する方法があったわけです。

武帝が仰向けに石の板の上に置かれて、
その上から、もう一枚、石の板を載せて、
ぐいっと押さえた。

すると脇の下から、
生涯で食べた卵がボロボロとでてくるわけです。

その卵を鬼が1つずつ勘定していくシーンがあるのです。
けったいな想像力といえます。


「浄土双六」というスゴロクがあります。

これは、人として生まれるところから振り出しです。

そこからサイコロを振って、
その目に従っていろんなところをさまようのです。

地獄に落ちたり、さんざんいろんなところを巡って、
成仏したら上がりです。


そういうことを考えると、
人々にとって地獄というのは身近なものだったのかも
しれません。


■■地獄絵の絵解き「熊野比丘尼」■■

人々が地獄に対して、慣れ親しんでいたことを
考えていく上で「絵解き」は避けて通れません。

例えば、
子供のころに紙芝居を観たことがあるかと思います。

ただの絵なのですが、
語りが入るとワクワクしたりします。
絵解きというのは、そういう能力を持っています。


江戸時代に、地獄絵の絵解きで名をなしたのは、
「熊野比丘尼(くまのびくに)」です。
比丘尼とは尼さんのことです。

熊野比丘尼の絵解きは、
江戸時代に大変、流行っていました。

地獄、極楽などを絵に描いて、
女性相手に絵解きをやっていたのです。

おそらくは、お公家さん、大名家の奥方といった女性
ではないかと思います。

あまりにその絵解きがすごいので、
途中で泣き出してしまう人もいたようです。


熊野比丘尼というのは、尼さん姿でしたが、
実は尼さんではありません。
営業上のコスチュームです。

彼女たちは、熊野の神社から、絵と、御札だけ渡されて、
独立採算制で営業を続けていたのです。

しかも熊野の神社には
上納金を収めないといけないルールになっていましたから、
過酷な営業体制の中で頑張っていたといえます。


彼女たちは、熊野牛玉(くまのごおう)という御札を
売っていました。

ただの御札であれば、
一家に1枚あれば済んでしまいますので、
それほど売れません。

でも熊野牛玉は、一家に何枚あっても悪くなかった。


商売をやっている家にとっては、
熊野牛玉は何枚あっても足りないものだったからです。

商売をやる上で、大切なのは契約です。

契約書を取り交わすときに、
その契約書をどうやって保証するか。

熊野牛玉の裏を使って契約書を作るのです。


そうすると、
熊野の神に誓ってこの約束は違えないという誓いになる。
契約証書として必要だったわけです。

熊野比丘尼にとって、頼みの綱の商品だったといえます。


当時、絵解きで使っていた絵は、
今、確認されているだけでも50枚を超えています。

実際に残っていて、発見されているものだけで、
それくらいあるわけですから、
まだ、未発見のものが相当数あると思います。


人生の諸段階を山道に例えて描かれたり、
六道や、悪道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅)などの世界が
描かれている

熊野観心十界図、那智大社の賑わいを描いた
那智参詣曼荼羅などがあります。

ただ、熊野比丘尼の最大のセールスポイントは、
地獄絵の絵解きだったわけですから、
多く使われていた絵は地獄です。


熊野比丘尼は、
何度も、何度もお得意さんのところへ絵解きに回ります。

ですから
絵の決まったところからのスタートではなく、
お得意さんのそのときの状況によって、
絵解きのスタートを変えていきます。

そうやって、熊野比丘尼が
女性たちの心をわしづかみにしていったのです。


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..3月例会
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.3月例会

●日時 平成24年3月15日(木)
   
●テーマ  「楽しみとしての地獄絵」

◇◇2月例会◇
2012/02/19

◇◇2月例会◇

●テーマ  「緒方貞子の経営術」

●講 師  独立行政法人 国際協力機構 中部国際センター 
      小樋山 覚 氏              
●プロフィール
1972年  JICAへ入団
1991年〜 マレーシア事務所次長
2000年〜 国際協力人材部長
2002年〜 JICA東京所長
2005年〜 東南アジア部長
2006年〜 ベトナム日本センター所長
2010年〜 JICA中部 市民参加・民間連携協力アドバイザー
http://www.jica.go.jp

●日時 平成24年2月14日(火)
18:00 受付
18:30 講演会
20:00 懇親会


●会場 料亭 蔦茂 (講演会、親睦会)
名古屋市中区栄3-9-27  

.■2月例会 講演レポート
2012/02/19

. 
   ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2012/3/18━━━

  ■2月例会 講演レポート

   テーマ 「緒方貞子の経営術」

   講師  独立行政法人 国際協力機構 中部国際センター 
      小樋山 覚 氏 

   NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
            開催日 平成成24年2月14日(火)  
     会場   料亭 蔦茂 

■■緒方貞子の時代■■

緒方さんはUNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)で
難民などを救う仕事を10年間されていました。

JICA(国際協力機構)にきましたのは2003年。

外務省がJICAのODA(政府途上国援助)を
担当していましたが、

現場感覚がJICAとは異なっていて、
中々、途上国の貧困層に届くようなものになっていない
と我々も感じていました。


そういう状況を何とか変えたいという若者が
緒方さんのところに行って、
「うちに来てください」というようなことを言った
という話も伝わっています。

私自身はこの10年で、
随分変わったところもあると感じています。


緒方さんは、世界一流を目指すということで、
国家元首としか会わないと決めていました。

これは決して、偉そうにしているということではなく、
日本のODAというのは、世界のトップの方と話をして、
国際社会の中で認めてもらいたいという気持ちが強かったのです。


2005年、緒方さんに連れられて
津波の被災地(インドネシアのアチェ)を訪問したときのことです。

あまりの惨状に、緒方さんは1分くらい何も話ができずに、
声もあげることでできずに、ただ首を振るだけでした。
  
私に向かって、
「あなたはこれを見てどう思っているの?」というわけです。

「いや大変です」というと、

「大変じゃないでしょ。6ヶ月もたって、
 全然、復興していないじゃないの。あなたは何をやっていたの?」

といわれました。


JICAの中に、無償で、いろんな建物を造る
というものがあります。

しかし、
仕事としては外務省の仕事で、
私たちはお手伝いをするだけなのです。

「理事長、そうはおっしゃいますが、
 無償というのはJICAの仕事ではなく、外務省の仕事であります」

というと、

「じゃあ、あなたは外務大臣に、何とかしてくれと言ったのですか?」

と返される。

「あなたは要するに、
 自分がやれる範囲のところだけでおさまっていて、
 それを上に上げて、本当に物事を動かそうとしていないでしょ」

と叱責されるわけです。


こんな話を聞いていました。
イラクのクルド難民が発生した時のことです。
それをUNHCRが助けようと彼女が考えたのです。

しかし、UNHCRのルールとしては、
国内での難民というのは、「国内避難民」。

国境を一歩でもでたら難民ですからUMHCRの仕事ですが、
国内であればイラクの問題として、
そこに入ってはいけないという線引きがあるのです。

これも官僚が作った線引きといえます。

そのときに、
「これはやってはいけないことになっています」

と言った部下がいました。

それに対して

「我々のミッションはなんですか?
 困っている人を救うことでしょ?」

「あなた方はルールに縛られている。
 ミッションを実現するために、ルールを変えなさい」

といったのです。
私がアチェで教えられたのも、同じことだと思います。


専門家の中には、
言っていることがよくわからないような、話をする人がいます。

緒方さんは、ODAの世界ではほとんど素人。

JICAの言葉、用語は非常に難しく、
専門家も相手を自分の有利になるように納得させよう
という気持ちがどこかにあるわけですが、
そんなことはできないのです。

「物事の本質はなんですか?」ということを問いかけて、
それに普通の人が解るような説明をしない限りは、
いくら官僚が解ったとかいってもダメなのです。


このようにお話をしていると、
素晴らしいけれど、厳しそうな人だなと感じると思います。

確かに厳しい。
ですが、意外とおちゃめなところもあったりします。

職場では厳しい人として接しているので、
お酒の席でも普段の話でも「素の緒方さん」に
ついつい引き込まれる。

それは術としてやっているのではなく、
内面からでる自然のマネジメント術なのかもしれません。


■■ベトナムという国■■

私が今までに回った国は40カ国くらい。

途上国の中で一番印象に残り、
素晴らしい国だな、人だなと思った国はベトナムです。

ベトナムは日本を好きになっている随一の
東アジアの国ではないかと思います。

今のベトナムは、自転車からバイクになる、
バイクもホンダが買えるようになる。
頑張れば車が買える

というふうな右肩上がりの勢いを感じます。


ファン・ボイ・チャウという革命家がいます。

彼は1905年にベトナムから日本へ密航して
留学運動を始めたのです。

留学といっても見つかれば死罪ですが、
1907年には200人の学生が東京で学んでいました。

この人たちが日本で学んだ日本語をベトナムに持ち帰り、
ベトナム語に訳したのです。

例えば、
日本語の「意見」、
イントネーションは違いますが、「イケン」といいます。
「発表」は「ハッピョウ」といいます。

2文字熟語は、ほとんどが和製漢語です。

日本に行った200名の学生が
ベトナム語を作り変えたといえます。

ベトナム人の日本語の先生ですら、
そういうことを知らないで教えている。

本来はもっともっと
日本とベトナムが仲良くなってもいいのかなと思っています。


私が日本センターの所長だったとき、
日本のビジネスを伝える仕事をやっていました。

すでに社長になっている方たちを
15、16人呼んだわけですが、

右肩上がりの環境で、
何もしなくても伸びていくような会社でした。

ただ、なぜ、そこまで伸びているのか、
社長自身もわからないという人たちばかりでした。

経営ということについては、全くゼロからのスタート
だったわけです。


最初は先生が教えて、生徒はそれをノートに写す。
それをそのままやるということから始め、
少しずつ「自分で考える」ということを教えていきました。


授業を進める上でいろんな苦労はありましたが、
ビジネスプランは自分で作らないといけないな、

作っただけではダメで、
それをどうやって実現するかが重要だな
ということを解ってくれました。


今までは授業の中で、
「あなたの会社は、どうやっているのですか?」と聞いても、
「競争相手の前では、話せない」といっていた人たちが、

ビジネスパートナーとして一緒にやれば、
もっと良くなるのではないか、と考えるようにもなりました。


ベトナムは、1つ言えば1を知る。
それを繰り返していけば10になるという国です。


■■ベトナムの日系企業の成功事例■■

まずはなんといっても「コミュニケーション」

ベトナム最大の2万人のスタッフがいるC社。
当時の社長は、毎朝、スタッフに
一人一人、おはようと声をかけていたのです。

そういうことを続けていると、何が起こったか?


2007年11月1日に大洪水がありました。

スタッフに「早く家に帰れ」と社長が言っても帰らない。

理由を聞くと、
シフト勤務になっている次のスタッフは絶対に出てこられない。
自分たちが帰るとラインが止まってしまう、というわけです。

そんなスタッフに対して、
最後は無理やり帰したというようなことがあります。


その他にはスタッフを信じることで、
日本人が造ったものと、変わらないほどの
高品質な製品をベトナム人が造っている会社、

社長がベトナムへの夢を語ることで
スタッフの士気を高めている会社など
成功している会社がたくさんあります。


日本人の気持ちが
本当に解ってくれるような関係を作ることは、
十分可能だということです。


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2012/02/19

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1月例会
2012/01/19

1月例会

●テーマ  「あなたが輝くハグニケーション」

●講 師  日本ハグ協会 
      高木 さと子 氏              

●プロフィール

役員秘書、モデル、美容業界を経て、
「人を輝かせる」ことを模索する中、コーチング・心理学と出会う。

2004年コーチとして活動スタート。
経営者からOLまで幅広いクライアントを持ち、
企業や、個人の目標達成をコーチとしてサポートする。


2006年 会社経営に参画。
「毎日シアワセ♪」って 感じられる秘訣、
「日本流ハグの作法」を構築。

今の 日本には、子どもを 抱きしめるような愛情が
不足していると実感し、2009年 日本ハグ協会設立。

日本の企業、団体、PTAに
ハグニケーションを伝える講演活動をしている。


「日本ハグスポット100選」「はぐよ日本縦断の旅」
「平成の社長塾」など、
次々と、斬新なアイデアで日本に愛情を注入しています。

日本に新たなハグのマインドを吹き込んでいく 平成のマザー

H P http://hug.sc/ 
Blog  http://ameblo.jp/hugjapan/ 


●日時 平成24年1月18日(水)
   
18:00 受付
18:30 講演会
20:00 懇親会

   
●会場 ローズコートホテル 名古屋市中区大須4-9-30 
    TEL 052-269-1811 

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