レポート・歴史

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◇◇「栄ミナミ音楽祭パートナーズライブinつたも」
2013/05/16

◇◇「栄ミナミ音楽祭パートナーズライブinつたも」
  〜ハープとヴァイオリンのデュオコンサート〜のご案内◇◇ 

栄ミナミ音楽祭‘13  
5月11−12日 約20万人参加イベント

後援 公益社団法人名古屋中法人会


今年から名古屋テレビ塔も加わり43会場で、
岡本真夜、白井貴子、奥華子、杉山清貴ほか、
270組を超えるアーティストが参加します。

栄を中心に地域が「一つのライブステージ」になり、
あふれる音楽のもと、街のストリート、公園、
広場の全体がひとつになる市民参加のイベントです。


地域の仲間達のあつまり栄ミナミ地域活性化協議会が
音楽を中心とした一大イベントを開催することで、

『人と地域の活性化』『新しい文化の創造』に
貢献することを目的に生まれた、
今回7年目のプロジェクトです。


ストリートイベントとともに
パートナーズライブ会場の料亭「蔦茂」にて、
真昼のノクターン企画をプラス・ワン事業として
ご案内します。

詳しくは、ホームページをご覧ください。 
http://www.sakaeminami.com/ongakusai/


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■名古屋中法人会・栄東支部のプラス・ワン事業

日曜昼は料亭つたも(蔦茂)で、
ハープとヴァイオリンのデュオコンサートを楽しみ、
初夏の会席料理を頂きながら優雅な雰囲気を!!!


日時 平成25年5月12日(日) 
   12:00 〜 14:30

アーティスト ハープ    神谷 知佐子  
       ヴァイオリン 森下 麻奈

会場 料亭 蔦茂  
   名古屋市中区栄3-9-27 TEL 052-241-3666             
   http://www.tsutamo.com/

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◇◇「OSUと若宮八幡社・花見の集い」◇◇
2013/04/14

◇◇「OSUと若宮八幡社・花見の集い」◇◇

共催:栄ミナミ地域活性化協議会
   名古屋の旧町名を復活させる有志の会

●テーマ  「OSUと若宮八幡社・花見の集い」

大須・超絶元気発信アイドル http://osu-idol.com/

尾張総鎮守若宮八幡社で観桜会、
1300年の歴史と若いエネルギーをお楽しみいただきます

お料理は料亭蔦茂から花見会席ご膳をお届けします


●日時 平成25年4月2日(火)
 
18:00 受付
18:30 卓話 若宮八幡社・副野 均宮司 
      テーマ「サカエと酒」(仮題)
19:00−20:30 懇親会:OSU/パーフォーマンス

●会場 若宮八幡社会館 2階・宴会場

名古屋市中区栄3-35-30 
TEL 052−241-0810  
http://www.wakamiya-bridal.com/




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河村たかし 名古屋市長の 徳川宗春の減税、話で盛り上がりました
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◇◇「OSUと若宮八幡社・花見の集い」◇◇
2013/04/05

「OSUと若宮八幡社・花見の集い」

,「OSUと若宮八幡社・花見の集い」
2013/04/05

.「OSUと若宮八幡社・花見の集い」

3月例会
2013/03/15

3月例会

●日時 平成25年3月12日(火)

●テーマ  「介助犬と障がい者の自立
       〜医師の立場から普及をめざして〜」

●講 師  日本介助犬協会
     事務局長 高柳 友子氏            
    
    18:00 受付
    18:30 講演会
    20:00 懇親会

    
●会場 料亭 蔦茂 (講演会、親睦会)
    名古屋市中区栄3-9-27 TEL 052-241-3666
    http://www.tsutamo.com/

     

●プロフィール
1966年生まれ 医学博士

横浜市総合リハビリテーションセンター補助犬担当/
リハビリテーション科医師

97年、介助犬の社会における理解と普及を目指した活動と、
介助犬とともに暮らす障害者の社会参加・
社会復帰を推進することを目的に
非営利団体、日本介助犬アカデミーを設立。


2003年、社会福祉法人 全国介助犬協会の理事に就任。

その後、2007年社会福祉法人 日本介助犬協会の
事務局長となる。
医師の立場から介助犬の普及・啓発活動を行っている。

著書には
『介助犬』角川書店出版、
『介助犬を知る』名古屋大学出版会、など多数。

http://ameblo.jp/kirimarukun/entry-10576308823.html


.3月例会
2013/03/15

.3月例会

●日時 平成25年3月12日(火)

●テーマ  「介助犬と障がい者の自立
       〜医師の立場から普及をめざして〜」

●講 師  日本介助犬協会
     事務局長 高柳 友子氏  

━━━━━━━━━━━━━━━━━━2013/4/21━━━

  3月例会 講演レポート 

   テーマ「介助犬と障がい者の自立
       〜医師の立場から普及をめざして〜」

   講師 日本介助犬協会
      事務局長 高柳 友子氏

 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
          開催日 平成25年3月12日(火)   
          会場  料亭 蔦茂   

■「身体障害者補助犬法」

今、介助犬を必要としている方は、
たくさんいらっしゃいます。

ただ、
ほとんどの方が盲導犬は知っていても、
介助犬という存在を知らないというのが
日本の現状だと思います。


介助犬というのが、
法律上のきちんとした定義になっています。

「身体障害者補助犬法」という法律です。


いろんな講演会に呼んでいただきますが、
そういう法律があることを知っている方は
あまりいません。

ぜひその法律の中身も知っておいていただきたい
と思います。


皆さんもご存知のように、
身体障がい者の補助犬としては、
視覚障がい者のための盲導犬が一番歴史が古いです。

盲導犬に関しては、
昭和35年から道路交通法で法律的な位置づけが
ありました。


盲導犬はペットではありませんということで
店舗、施設、ホテル、飲食店、
いろんなところに
各省庁から通知・通達が出されたのです。


ところが、介助犬には法律がない。
盲導犬も入れた法律作りが必要だということに
なりました。

そこで聴導犬が入り、この3つを総称して、
身体障害者補助犬と称し、

障がい者の社会参加を促進することを明確にしよう
ということになりました。


この法律は、
「社会的な受け入れ義務を課す」というのが
一番の目的です。

この法律を作るにあたって、
各国の法律を全部、見直しました。

先進諸国では、
盲導犬はずいぶんと遅く始まった韓国にも
きちんとした法律がありました。

障害者差別禁止法です。


その法律が日本にはなかったので、
「身体障害者補助犬法(補助犬法)」が
最初の障害者差別禁止法になりました。

盲導犬、介助犬、聴導犬を理由に
障がい者の社会参加を拒んではならない、
という法律です。


ただ、
日本ほど、清潔意識が高い国はありません。
こんなに抗菌グッズがある国はありません。

犬は汚いという感覚を持つ方が多いようで、
なかなか受け入れる意識に変わることは難しい環境です。


そこで、補助犬に認定制度を設け、

使用者がきちんと衛生管理も行動管理も全責任を持って
迷惑かけないということを約束事にしましょう

ということで「認定制度」というのが
補助犬法には定められています。


認定試験に合格しなければ、
盲導犬、介助犬、聴導犬という表示をしてはいけない。
認定書も貸与されないし、社会参加は保障されない。

それだけのハードルを越えて社会参加しているんだ
ということを知っていただきたいと思います。


盲導犬は視覚障がい者30万人に対して
1000頭ちょっとが、60年の歴史の中で実働しています。

聴導犬、介助犬は10年しか歴史がありません。
聴導犬は全国で、まだ42頭。

介助犬は対象となる障がい者176万人に対して62頭です。


■障がい者の心の支え「介助犬」

介助犬の主な仕事としては、持ってくることです。
移動の支援などもします。

車椅子が溝にはまったとか、
デコボコ道に足を取られて動けないときに、
補助的に引っ張ることもします。


一番、障がい者にとってニーズが高いのは、
電話の子機や携帯電話を手元に持ってくるということです。

障がいを持つということが、
危険と隣り合わせるということに他なりません。


例えば、
ちょっとした油断で、
車椅子から車への乗り移りを失敗してしまうと
緊急事態です。

誰にも見つけてもらえなかったら・・・
という怖い思いをする。

家族は家族で心配をする。


携帯さえ持ってきてくれたら、
誰かに助けを呼ぶことができます。

誰かに連絡がつくと思えば頑張れる。
そういう安心感は、とても大切なことなのです。


障がい者によっては、
筋力が弱くて立ち上がれない人がいれば、
関節の動きが悪い人もいる。

障がいによって犬の使い方が違ってきます。

そういう意味で、
私たちは、リハビリテーション専門職と
密接に連絡を取りながら、

個々のニーズに合わせて、訓練をしないといけない
というのが介助犬の大きな特徴です。


全ての人が介助犬ユーザーになれるわけではありません。
認定を合格しなければいけない。

健康、衛生、行動管理に全責任をもって、
社会参加をするというだけの能力が本人にないといけない。


犬もまた、
全ての犬が介助犬になるわけじゃありません。

当会が一番大事にしていることは、
介助犬に向かない犬を介助犬にしないということです。

皆さんの家にいる犬は留守番をしています。
介助犬たちは、留守番をしない。


24時間、365日、
ずっと大好きな飼い主を一緒にいられる幸せな犬です。

でも、そのかわり、
ユーザーがディズニーランドなどに行ったりすると、
犬にとっては最悪です。


花火は上がるし、人々は興奮している。
人混みもある。

そういう場所には行きたくない、
というような犬では、
介助犬になるとストレスがかかり過ぎてしまいます。

気持ちの切り替えが上手なことが、
非常に大切な適性です。


ときどき、
介助を犬に手伝わせるなんてどういうこと?
家族は、なにをしているの?
というお叱りをうけることがあります。

ただ、当事者は、
大切な家族だからこそ、
自分のことを忘れて遊べるような時間を持って欲しい
と思っています。

家族から介助をうけることはありがたいけれど、
申し訳ないと思っている。


当事者は「人に頼んだことは、自分にできない」
という認識をします。

でも「介助犬に指示したことは、自分でした」
と思える。

だから介助犬ユーザーになってから、
皆、どんどん元気になって行くのだと思います。


現状では、
全国で半分の都道府県には介助犬が0(ゼロ)
という状況です。

犬種としては
大型犬でないとできない介助作業が多いので、
ラブラドールレトリバー、ゴールデンリトリバー
などが多いです。


最近は、補助犬法を知っている上での課題もあります。

ホテルで、こちらのお部屋へどうぞと
ユーザーが案内される。

レストランなどに行くと、こちらの席へと案内される。

どんな席かというと、
すぐ入り口に近くのいつでも出ていける席。
とても失礼なことです。


介助犬ユーザーが、
車椅子だから、向こうの広い席の方を使わせて欲しい
と言っても、

いやいや、申し訳ありませんがこちらの席で
と言われてしまう。


正しい受け入れ方ではない
ということをぜひ知っていただきたいと思います。



      

2月例会
2013/02/22


2月例会
●テーマ  「名古屋伝統芸能の歴史と旧町名を語る」

●講 師  南山大学 人文学部 
     教授 安田 文吉氏          

●プロフィール

名古屋市熱田区に生まれる。

幼少より、常磐津節や西川流などに親しみ、
入学した名古屋大学でも、浄瑠璃や歌舞伎など
伝統芸能を研究した。

1975年、名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了、
1996年、文学博士に。

1977年に南山大学文学部国語学国文学科専任講師に就任
1986年に文学部助教授、1989年に同学部教授となった。

1992年の『常磐津節の基礎的研究』(和泉書院)で、
第10回1992年度田辺尚雄賞(東洋音楽学会)を受賞した。

2012年、中京独立戦略本部本部員。


●日時 平成25年2月21日(木)   
    
    18:00 受付
    18:30 講演会
    20:00 懇親会

   ●会場 札幌かに本家・栄中央店 
    TEL 052-263-1161


      

2月例会
2013/02/22

.━━━━━━━━━━━━━━━━━━2013/3/26━━━

  2月例会 講演レポート 

   テーマ 「名古屋伝統芸能の歴史と旧町名を語る」

   講師 南山大学 人文学部 
      教授 安田 文吉氏 

 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
          開催日 平成25年2月21日(木)  
          会場  札幌かに本家・栄中央店   


■家康の政策、政経分離 〜経済活動の拠点、名古屋

森零さん監督の名古屋城物語という映画があります。

その中で、なぜ徳川家康が名古屋市を作ったか
という話を私がしています。


家康は政経分離を考えたからです。

室町幕府の失敗は
都の中に、もう一つ政治政府を作ったことにあります。
二重支配になってしまう。

家康は、政治経済を分離し、
政治は江戸、経済は名古屋とした。

名古屋は日本の真ん中にある。
そうすると
経済活動をするには、もってこいだったわけです。


経済活動の拠点として、
三男の徳川秀忠は、二代将軍で江戸へ。

四男の松平忠吉を初代の尾張藩主にします。

その後、忠吉が亡くなると、
九男の徳川義直が継いだわけです。


名古屋が経済活動の拠点であるということを、
知らしめるためには、何かシンボルがいる。

そのシンボルが金の鯱です。

徳川幕府は、こんなに経済力があるぞ
ということを見せようとしたわけです。


徳川家康は戦う前から、
戦いの後のことを考えて、町づくりも考えました。

私が代表を務めている
「NPO法人 清須越400年事業ネットワーク」が作った
名古屋の地図があります。

これは、
名古屋城ができる前の名古屋を推定して作ったものです。


清洲越し、直前、慶長12年頃の町の地図、
清洲城下の推定図などを見てもらうと、
開けている名古屋の様子がわかります。

地図を見ると、
熱田から金山のあたりまで海だったことがわかります。

熱田台地、あるいは名古屋台地といわれる場所がありますが、
その一番高いところに名古屋城があります。

その後ろ側は湿地帯。
清須の向こうは海だったわけです。

近くには新川があって、非常に水没しやすいところ
だったのです。

人が住むとなると、石垣を組んで、地面を高くして
住まないといけない。

そういうこともあって家康は清洲越しをしたわけです。


経済活動に、どういう町がいいかと考えると、
江戸は江戸城を中心に、同心円状の町が発展しています。

名古屋は碁盤割。

碁盤割の町に商人とか職人を住まわせました。
その南側と東側に下級武士が住む。

何かあったときは、
碁盤割の町を、まずは下級武士で守ろう
ということだったわけです。


その外側にはお寺を造りました。
なぜ寺を造ったのか?

お寺には霊がいるから、人は、たたりを恐れる。
信仰心も強い。

だから、
家康はお寺を碁盤割の外側に造って敵の侵入を防ごう
と考えたわけです。


■家康の政策を受け継いだ尾張藩第7代藩主 徳川宗春

家康は慶長5年2月、
「貞観政要(じょうがんせいよう)」を印刷し、配り、
こうやって政治をやるんだということを考えていました。

家康の考えを一番きちんと受け継いでやったのが
尾張藩第7代藩主 徳川宗春です。

宗春は、自分の政策を
「温知政要(おんちせいよう)」という本にしました。

経済政策に関し、
享保の改革を行った徳川吉宗の質素倹約策に対して、
宗春は反対の政策。

皆が元気になることが大事だということで、
名古屋での芝居を認めました。

歌舞伎というのは江戸時代では一番人気の高い娯楽でした。
年間で130以上の公演という記録が残っています。

遊郭は富士見原、西小路、葛町に3つ作りました。


芝居小屋や遊郭を造るには、腕の良い職人がいる。
そこで、いろんなモノ作りの人が集まってきました。

商人や職人の懐具合がとても良くなってきた
ということがいえます。


ただ、農民は懐具合が豊かになっていない。
そこで宗春は、
地場産業の保護育成と、販路の拡大をしたわけです。

それによって農民も豊かになりました。
しかも、税金を増やさなかった。


皆が豊かになると、良いものを買うようになる。
そうすると職人が腕を磨いて良いものを作るようになる。

これが名古屋のモノ作りの原動力になっているのです。

宗春は家康がやったことをさらに発展させたといえます。


そんな名古屋の歴史や土地の特徴を表しているのが
旧町名です。

ところが、
昭和49年くらいに新町名に変わってしまいました。

名古屋地区を活性化するためには、旧町名を復活させる。
これが私の理想です。

番号ではだめなのです。
住人が、愛着や親しみを感じるような
ところでないといけない。

私が思うのは、
町内会は、旧町名でやっていただきたい。

そういうことを徐々にやることで、
町に親しみを持ってもらう。

そして、最後には、町名変更をする
というのがひとつの方法ではないかと思っています。


■平成25年1月例会
2013/01/21

■平成25年1月例会

1月例会

●日時 平成25年1月18日(金)   

●会場 ローズコートホテル 
    名古屋市中区大須4-9-30 TEL 052-269-1811

    
●テーマ 「久屋公園を一体とした“みんなのテレビ塔”」

●講 師  名古屋観光コンベンションビューロー理事長 
     名古屋テレビ塔(株)取締役社長 大澤 和宏氏   

●プロフィール

愛知県名古屋市 出身
日本放送協会(NHK)で技術関係を歩き、
名古屋放送局 副局長を経て平成9年に定年退職

平成9年に
株式会社NHKアイテック名古屋支社長に就任、
平成15年に退社

平成15年6月に
名古屋テレビ塔株式会社代表取締役社長に就任、
現在に至る

平成21年8月に
財団法人名古屋観光コンベンションビューロー理事
長に就任、現在に至る

外部委員として、
久屋大通発展会 会長、社団法人愛知県観光協会理事、
公益財団法人 名古屋みどりの協会 理事などを務める


    


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